勇樹は、祥子の方を見た。心なしか生気が戻って来ている。
[行くか…?]
[ええ…、え…?、連れていってくれるんですか…?]
[身体が元に戻るまで、死神としての仕事ができないだろう…どうせ暇なんだろうし、お前さえ良ければ付き合えよ…、あてのない旅だけどな……]
勇樹は、愉しげな笑みを零した。病室の窓を開け、窓枠に足をかけながら。
[それで十分ですよ……]
[でも、ペットの面倒は見ないから、きちんと面倒を見ろよ…]
[へ……?]
クロスは、恐る恐る横を見た。獏が相も変わらず裾を咥えている。
[なついているみたいだし、面倒見てやれよ…]
勇樹は、そう言って笑った。無責任な笑いだった。
[さて、行くか…]
[は~~~い……]
勇樹は、窓から外へ飛び出した。獏の背にまたがりクロスも続く。
[これからどうするんですか……?]
[目指すは北欧…目的はノルンを口説く事さ……]
[げ……時の女神じゃないですか…それも絶世の美女と詠われる…]
[困った神さんだろ…連れてこいとよ…]
[………]
[たかが酌をさせるために……]
[はは、冗談でしょ……]
クロスの振るえる笑いに勇気は、悪戯気に笑って見せた。その笑顔は、何処となく困っているようにも見えた。
「どんな気分だ…?、ミカエル…」
サタンが、ミカエルのグラスに酒を注ぎながら言う。
「複雑では、あるな…」
「天想界を預けるはずだったからな……」
「ああ、だが、…それよりも厳しい道を進む事になる……、お前もだろ…」
勇樹の生まれは特殊である。無論育ち方も。特別にそうしたわけではなく、そうなってしまったのだ。銀翼の翼は、周囲の波動をすぐに吸収してしまう。禍々しい気を吸い取っては黒く染まり、柔らかな優しい風にさらされては白く染まった。
天使として産まれ、堕天使になる者は少なくない。それは育つ環境による事が多いが、多くの者は、魔を宿したが為に討伐されたりする。産まれながらに黒き翼を持つ堕天使は、その心に魔を宿す事は少ないのである。つまりは、心無い言葉が、無垢の心を自在に染めていくのである。
ミカエルは、勇樹を自分のもとで育てた。光溢れる空間は、勇樹の翼を純白へとし、無垢な心根のまま育つ事を可能にした。しかし、勇樹の周りには、同世代の友が存在しなかった。その為に、勇樹は精霊を友に、書物を師にして育つことともなった。
勇樹は、精霊の力を借り、古代精霊術までも身につけてしまったのである。その昔、戦乱の時代に使われた戦う為の術までも。そんな勇樹の愚行を正したのは、他でもないサタンだった。それはただの偶然だったのかも知れない。だが、結果として、勇樹は、何も考えずに封印された古の術を引き出す事はなくなった。その事をきっかけにして勇樹はサタンを慕うようになった。誰も、魔道界の者でさえ、一目を置くがあまりに距離をとるサタンに対して、素直に接したのである。そんな勇樹を弟のように思うようになるのは必然だったのかも知れない。
「ん?、そんな事は無いが…」
「嘘つけ、あの鎌、誕生からずっと、片時も離さなかったくせに…」
「ふん!、気まぐれさ……ただの…」
「まぁ、いいがな、別に追求したところで……本音はいわんだろうからな…」
ミカエルは、笑みを零した。とやかく言ったところで素直に話す男ではない。黙して語らず、勝手に行動を起こして、片をつけてしまう。そんな男相手に…。
「それにしても、天地創造……そんな時期か…」
「ああ、厄介な時期に巻き込まれた者だな、ヤツも……ヤツが、選ぶノルンは……誰か…それが、時代の引き金になるな…」
ミカエルは、何処か遠いところに目を向けた。
「ああ、ヴィルダンディ現在を選べば、滅びを……スクルト未来を選べば、創造を……」
サタンは、ボトルごと酒を一気に飲み干した。
もしも、勇樹がウルト過去を選ぶ事があれば、それは世界の消滅を意味している。どれだけの数の世界が消えるかは解らない。その事を知る者は、存在していないのだから。ひとつだけが消滅するのかもしれないし、全ての世界が消えるのかも知れない。どちらにせよ、采は投げられたのである。
何も知らされずに審判の日に向けて、ひとりの天使は旅立った。
白銀の翼を持つ天使は、落ちこぼれた死神と迷子の獏を連れ、戦乱の記憶を、悲しみを、虚しさを知る意思を持つ鎌を片手に、新世界へと向けて歩みを進めはじめた。先に何が待ち構えているかは、わからない。ただ、今は、歩みを進めるだけだ。いつかは、目的は果たせるだろう。立ち止まりさえしなければ…。
「お~~い、良かったら俺も連れていってくれ…」
「………?」
勇樹は、声のする方を見た。烏が飛んでくる。
「スパインカー…だったけ…?」
烏は、勇樹の肩に当たり前のように止まった。
「いいかい…?」
「この際だからな…、それにしても、奇妙な旅になりそうだな……喋る鎌に、死神に、獏に、烏か…、賑やかになりそうだ…」
勇樹は、苦笑しながら言った。
「喋る鎌…?」
クロスは、獏の背に跨りながら勇樹の持つサタンの鎌を見た。鈍く光る刃先は、自分たち死神の鎌よりも鋭利で危険なモノに感じられた。そして、何か得体の知れない強大な力を。いや、それは、封印しておくべき力のようにすら感じられた。
「あっ、よろしくな…皆の衆…」
「…普通に喋れるのか…?、サタンの鎌…」
「ん?、ああ、思念に話しかけるのは疲れるからな……」
「どうでもいいけど、何処に口があるんだ…?、おまえサタンの鎌は…」
勇樹は、苦笑した。
ついでだが、勇樹の探す北欧の『時の女神ノルン』の居場所は本当に不明である。数年前、人間とした転生した阿修羅王によって北欧の神々の国は、『ラグナレク神々の黄昏』を迎えた。神々の国の終焉、北欧の神の世界は、その役目を終えた。生き残った神々は、三千世界へとちりじりに旅だったのだ。何処の世界の何処に、どの神が行ったのかなど、つかみきれるわけがない。神は決して万能ではないのだから。
ちなみに、ノルンのひとりスクルト未来を司る者は、日本にいる。そして、一度すれ違っているのである。運命の悪戯か、作り手の気紛れか、ご都合主義かは別として一度すれ違ったノルンと勇樹、次に巡り会えるのはいつの日の事か…。また、機会がある時にでも。ということでここは、とりえず省略させてもらう事にする。
「まぁ、いいか……」
勇樹は、サタンの鎌を肩に担いだ。その上にスパインカ―は降り立った。
自分が何を背負わされたのかなど知る余地もない。ただ、得た仲間と愉しい旅をするだけである。その結果が何をもたらすのかは、第三者が決めればいい。いまこの一瞬を愉しく、後悔せずに過ごすだけである。
[おい、エル……]
[ん……、ん?]
[天使長……出ていったぞ……]
[嘘…?]
[だって…ほら……]
ルキは、窓から見える勇樹の駆けていく後姿を指差した。
[なんで教えてくれなかったんだ……]
[えっ?、お前と一緒で、暇にかまけて寝ちゃったから…かな]
ルキは、照れたような笑みを零しながら頭をポリポリとかいた。
[あっ……あ~~あ…]